マチナカ年代記

ぼくが考え、書いてきたこと。

2405:坂上さんと國分さんに伝えたかったこと①

坂上香さま

國分功一郎さま

昨日(24/05/08)は、三鷹での対談イベント、おつかれさまでした。また、本当にありがとうございました。私は、『プリズン・サークル』の映写イベントで2回、YAA!(ヤングアダルト&アート・ブックス研究部会)でのZoom部会で1回の、都合3回にわたって坂上監督のお話しをうかがってきた者です。どうぞよろしくお願いいたします。

昨日のイベントでは、映画『プリズン・サークル』に至る経過や、今後の展望等について、國分さんが坂上さんにお尋ねになることを中心の一つとして進めてくださいました。それに触発されて、つい質問もさせていただいたのですが、それに対しても丁重にお応えくださり、深く感謝しております。ありがとうございました。

対談中で感じ入ったことの一つとして、被害/加害、あるいは、トラウマが連鎖されてしまうことが指摘され、それを断ち切ることが、困難ではあるものの、極めて重要であるとのお話しがあったと思います。それに関して、私は全面的に賛同しつつも、その「トラウマの連鎖」の根本には、「戦争トラウマ」があるのではないかと質問をいたしました。

これについては、信田さよ子さんも最近ご指摘されていたと記憶していますが、私は二年ほどの間、オンラインでの読書会で宮本輝さんの『流転の海』シリーズ全9部を講読している中で(現在第6部の『慈雨の音』を読んでいます)、参加者とともに強い共感を覚えているのが、宮本輝さんが極めて強い口調で戦争を批判していることでした。「批判」では弱すぎるくらいで、むしろ「憎悪」といっていいと思っています。その「戦争憎悪」は、主として作中の松坂熊吾を通して語られるものです。この熊吾は、宮本さんのご尊父がモデルとされています。

その熊吾は、40歳の時に二度目の出征をしています。戦前、中国大陸との交易で財を成しました。そのことで中国人の知己を得ていたことから、大陸で敵として殺傷することを頑なに拒んでいました。また、軍人たちの振る舞いを憎んでいましたが、それは戦争という愚行の為せるものとして、戦争を強く憎んだのだと考えています。

『流転の海』全9部は、その熊吾と、妻・房江、そして熊吾が実に50歳にして初めて得た実子である伸仁の3人を中心に据えた、その「眷属」たちが織りなすドラマとして展開しています。熊吾は豪胆にして繊細な、そして深い教養と見識を備えた魅力的な人物として描かれているのですが、悲しいかな、妻の房江にはしばしば暴力を振るうのです。今でいうDVに当たるかと思いますが、その遠因は、出征時に経験に負うているものと考えた次第です。しかも、そうした「戦争トラウマ」が原因と思われる、「壊れた人間」が度々登場します。そうした「戦争トラウマ」は、姿を変えて戦後社会の病理として度々指摘されているように思うのです。つまりは、それは変奏される、隠れた「主題」のように描かれているのだと考えている次第です。そして、それは80年を経た現在でも克服されてはいないのだと考えています。

こうしたことを、昨日は明示的には申し上げませんでしたが、國分さんは、即座に「ベトナム帰還兵」と「シベリア帰還兵」の、2つのエピソードをご紹介する形でお応えくださいました。

私が知るところでは、そもそも「トラウマ」概念の発見には、ベトナム戦争と第一次世界大戦があったと記憶しています。先の2つのエピソードでは、シベリアでの収容所から帰還された石原吉郎の詩作のエピソードが取り分け印象的でした。戦争は、特に「敗者」として蹂躙される側に強い傷跡を残す。もちろん、蹂躙「する/した」側にあっても、傷は残らないはずはないと思いますが、そうした戦争体験が残す問題を「トラウマ」として「対応すべきもの」と考えられるようになったのは、まだ日が浅いように思われるのです。つまり、この国と社会は、未だ「戦争トラウマ」について、克服されていないどころか、まだ十分には向き合い切れていない段階にあると思われるのです。

「私もいいですか」と前置きされてからの坂上監督が語った、アリス・ミラー(『魂の殺人』ほか)の子息マーティンのエピソードも衝撃的でしたが、既に1700文字を越えてしまいましたので、一旦ここまでとした上で、別項を立てたいと思います。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた。