マチナカ年代記

ぼくが考え、書いてきたこと。

2405:傍観者から「共事者」へ~『プリズン・サークル』の話しを聞いて

こんにちは。

去る5月2日(木)、「3分de名著」と銘打った読書会で、参加者思い思いの「名著」について語っていただく機会を設けました。その中では、坂上香監督の『プリズン・サークル』について言及いただいた方がありました。

この著作は、同監督の映画を「書籍化」したもので、「対話」を中心とする、犯罪者への更生教育についての取材を元に映像化・書籍化されています。

 

 

本文には、次のような記述があります。

この日のテーマは「傍観者から参加者へ」だった(略)あなたは今まで黙って見ているだけの「傍観者」だったかもしれない。しかし、コミュニティにはおては、どんな人にも重要な役割があり、感情面、肉体面、知的面とすべての面において、積極的に参加することが求められる(略)傷を治療するのは、医者やカウンセラーではなく、コミュニティ自身である。

発表くださった方は、本著の帯に寄せられている上間陽子さんの「私たちもまた、泣いているあの子を見捨てた加害者のひとりではなかったか?」についても言及されていましたが、私は、この上間さんが発した「加害者」(※太字表記部)には、「傍観者」を代入してもよいのかもしれないと思っています。

この著では、犯罪者の更生について、刑務所という一部のプロ組織に丸投げして事足れりとしてしまっている現状を批判しています。犯罪者が「更生」した後、十分に彼や彼女らを受け入れているかというと、この社会はそうではないと言わざるを得ません。

このように、一部の「専門家」に丸投げして、あとは「傍観者」を決め込んでいるパターンは、実は随所に見られます。犯罪者(の再社会化)を刑務所に押しつけ、教育を学校に押しつけ、政治を政治家や官僚に押しつける。逆に言うと、押しつけている「主体者」でいるつもりが、その実は権利を簒奪され、疎外されている存在なのではないでしょうか。

そこで私が思い出したのが、「共事者」という言葉でした。最近では、横道誠さんや斎藤幸平さんらが積極的な価値を見出している言葉です。私たちは、もちろんさまざまな、あるいは「すべての」問題について、「当事者」として関わることは不可能です。しかし、関心を持ち、「半身で関わる」(上野千鶴子さん他)ことで、利害や関心を「共有」していくことは可能であるということです。

これは、「0か100か」思考から自由になるということでもあります。「当事者でないあなたにはわからない」「現場を知らない人は口を出すな」ということではなく、ゆるやかな連帯をしていくことも、悪くはないと思うのです。

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今回は以上です。何か思いつくことがあったら、「追記」することがあるかもしれません。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!