マチナカ年代記

ぼくが考え、書いてきたこと。

2312:宗教二世のあなたへ・序

こんにちは。

この記事が、宗教二世の「被害者」を自認している人にはもちろんのこと、「加害者」と指さされて戸惑っている人の元へと届き、さらにはその両者の架け橋あるいは、対話のきっかけとなることを願っています。もとより、そんな力が予め私に備わっているとは思えませんが、この両者の不幸な関係が、何とかして緩和されないものかと、祈るような気持ちでいます。

しかし私は、まだこれから学ばないといけない状況にあります。さしあたっては、以下の2著を頼りとして進んでいこうと思っています。

 

宗教2世

宗教2世

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私は、次の誕生日で還暦を迎える者です。今回は、少々自己紹介(と自己弁護)を書くことになろうかと思います。

1964年3月、私は既に創価学会に入会していた両親と祖母の家庭に生まれました。3月生まれですので、1963年・64年生の学年となり、同窓の多くはもう還暦を迎えました。

母からは、上京して住み込みで働いていた先が創価学会の家庭であったと聞き及んでいて、その職種の縁もあって、父と結婚しているようです。父は、おそらく祖母が入会した時、一緒に入会しているのだと思います。祖母も父も鬼籍に入っているため、確認ができませんが、お許しください。この嫁と姑の二人は比較的熱心な会員ですが、父はそれほどとは言えませんでした。

こうした両親から生まれた私は、宗教何世と呼ばれるのか? 両親を一世とカウントしたら二世なんでしょうし、祖母からカウントすると三世なんでしょうか。まあ、間をとって、「2.5世」とでもしておきましょうか。

それはさておき、私にとっては、安倍氏が射殺された事件は衝撃でした。ことに、実行者が信仰を持った家庭の子弟であったことから、「宗教二世」が「問題」としてクローズアップされました。ここから「信仰を持つ人」一般に対するまなざしが、厳しく冷たいものになるだろうと直感されたのです。その直感は、概ね「当たり」だったと言えそうです。

さらに本年、池田大作創価学会名誉会長が死去したと報じられました。このことも、世間一般の「やじ馬」的な関心を引いたと言えましょう。

私がこのブログで試みたいことは、冒頭で述べているように、宗教二世「問題」の被害/加害の双方が、同じ席に座ることは可能かということの模索です。不定期な投稿になると思いますが、ご指導くださいますと幸いです。お読みくださいましてありがとうございました。それではまた。