マチナカ年代記

ぼくが考え、書いてきたこと。

2401:正木さんの「論考」を歓迎する①

「宗教二世」とは――?

こうした「新語」としては常のことながら、「キャッチフレーズ」として話題となり、独り歩きしている感がある。2022年7月の安倍元総理が銃殺された事件の実行者が、旧統一教会員の家庭に育ったことが報じられたことで、一気に広まった感が強い。ここでこの言葉については、暫定的に「特定の信仰を持つ親の元に生まれ育ち、本人の意志とは関係なくその教団員となった、入信動機を持たない世代」であり、必ずしも「宗教虐待」を受けていることが必須ではないとしておく。

さて、ここでは一人の著名な「宗教二世」として、正木伸城さんを紹介したいと考える。正木さんは、創価学会の元理事長である正木正明氏を父とし、ご本人も創価学会本部の職員を務めたことがあるが退職、現在ではライター・編集者としてご活躍されている。現在までの間に、メンタルの疾患と闘っていた経歴もある方だ。

興味深いのは、自ら「宗教二世」としての発言をなさっていることで、昨年末には、東洋経済オンライン上で、「創価学会を急成長させた池田大作と会員の「絆」  彼を「カリスマ」と捉える風潮への体験的異論」(以下、「論考」と表記します)とした、たいへん建設的な論考を発表されている。今回のブログ記事は、このことを契機として、正木さんへの「エール」を綴るつもりで起稿したものである。

 

 

かくいう私自身、創価学会員である父母の元に生まれ育った者であり、正木さん同様に創価学園(中学・高校)に学んだ。また、父君の正明氏が「高等部長」だった時にお会いしたこともある。学歴的には、正明氏の後輩で、伸城さんの先輩にあたる。

この「論考」には、共感を覚えた箇所が多々あった。まず、伸城さんが創価学園生時代に感じた「違和感」である。故・池田大作名誉会長(以下「名誉会長」。個人的には、「池田先生」としたいところだが、「池田さん」「池田氏」と書くのには抵抗を感じるため、職責の名称で書くこととした)の呼びかけに対して、生徒たちが「ハイ!」と一斉に元気よく返事をするところが描写されている。

私も実を言うと、創価学園や創価大学の各種行事で、創立者として名誉会長が入場されるや「先生ーっ!!」と歓呼で迎えることに、かなりの違和感を感じていたことがある。

しかしながら、こうした違和感は、実は少なからず「共有」されているものなのではないかと考えている。名誉会長の大河小説『新・人間革命』には、後にアメリカ創価大学の学長となる羽吹好史氏の感じた違和感のエピソードが綴られている。これからわかることは、名誉会長は、自らを歓呼で迎える者のみを「弟子」として歓待したり、許容しているのではないことである。ましてや、「強要」などは一切していないのだ。その辺りは、どうにも誤解を通り越した「曲解」がまかり通っているように思える。まずこのことが一点めである。

しかしながら、本「論考」の肝は、名誉会長が創価学会を育て上げることに成功した秘密に言及している点にある。それはつまり、一人一人の信仰、信心の「原点」を、名誉会長自らが、丁寧に、手作りで刻んでいったそのことにあることを、ほとんど「初めて」明かしたのではないかということだ。この点については、稿を改めて述べることとしたいと思う。

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今回は以上といたします。この記事には「続き」がありますので、お楽しみになさってください。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!