マチナカ年代記

ぼくが考え、書いてきたこと。

2401:正木さんの「論考」を歓迎する②

前稿に続き、「問題」として論じられていることが多い宗教二世について、年末に発表されていた正木伸城さんの論考「創価学会を急成長させた池田大作と会員の「絆」  彼を「カリスマ」と捉える風潮への体験的異論」をきっかけとして考えたことを数回に分けて書き残しておこうと思う。おつき合いくださると幸いである。なお、前稿については、以下のリンクからご参照いただきたい。

<リンク>

今回から正木論考の「肝」とも言える部分について言及していく。その前に、「カリスマ」という語についていささか述べておこうと思う。今となっては、もはや「濫用」の域に達している感のあるこの「カリスマ」について確認しておきたい。広辞苑第7版においては、以下のように説明されている。

①神の賜物の意。聖霊から与えられる特別な力。

②超人的・非日常的な資質。英雄・預言者などに見られる、カリスマ的資質をもつものと、それに帰依するものとの結合を、マックス・ウェーバー(社会学者)はカリスマ的支配と呼び、支配類型の一つとした。

③多くの人を心酔させる資質・能力。また、その持ち主。

 

日常的に使われることがある、「カリスマ店員」などとなると、さすがに使われすぎといった感が残る。もちろんここで考えたいのは、「池田氏のカリスマ性」というような使われ方である。

故・池田大作名誉会長(以下、「名誉会長」と表記)は、言わずとしれた傑出した宗教指導者であるが、文筆家や社会運動や文化運動の指導者でもあったことは、もっと積極的に論じられてしかるべきだと私は考えている。ただし、その際に「カリスマ」として見ようとしてしまうと、名誉会長の「実像」を見誤る可能性が高いと思う。

カリスマと言ってしまった場合、どうしてもその卓越性、というよりは、彼岸性や非日常性が伝わってしまう。つまり、「わたしたち」俗人とは切れたところにある、超越的な力を備えた、ある意味では「異能力」的な指導性という意味合いが伝わってしまうのである。そこからは、カリスマと呼ばれた対象への恐れと同時に、侮蔑的な感情が導かれる。

正木さんは、そのことを感じ取っているからなのか、名誉会長を「カリスマ」とすることを避けているばかりか、「拒否」さえしていると言っていい。

では正木さんは、創価学会における名誉会長の卓越した指導性の根源を、どこに見ているのか。それは、いささか「文学的」な表現になってしまうが、名誉会長が一人ひとりの会員が、信心(ここでは、あえて「信仰」という一般的な表記でなく、創価学会内で通常使われている「信心」と表記した)の「原点」を丁寧に刻むことに注力し、「手作りの組織」として創価学会を築き上げてきたことを指摘している。これは、全く等閑視されてきたことで、指摘されたこと自体が異例なことなのである。

「論考」内では、正木さんの父君のことも交えたエピソード、つまり、ある記念撮影における、体調が悪そうな青年への心配りについて紹介されている。その青年に気づいた名誉会長は、撮影会の責任者であった正木さんの父君に対して、青年への気遣いを「指示」した。しかも、「私(=名誉会長)が気づいたのではなく、おまえ(=正木さんの父君)が気づいたこととして声をかけなさい」ということを添えての「指示」である。600万とも800万とも言われる組織のトップが、その場に居合わせた「一介の」会員に見せられる「気配り」としては「破格」とは言えまいか。実は、このような「エピソード」は枚挙に暇がない。

前稿で、私は自分の「出自」を、つまり創価学園・大学の出身であることを明かしている。中・高・大に在学していた11年間(卒業を延期したので11年)、ほとんど毎年のように名誉会長の肉声に接してきた。その際、名誉会長は、その場に居合わせている一人ひとりに、まさに「直接」語りかける。これは「比喩」ではないのだ。よく眠れているのか、お腹は空いていないか、経済的に辛い思いをしていないか、親孝行はできているのか等々。

いささか「筆」が走りすぎてしまった。今回はここで一旦ブレーキをかけることにする。次回は、名誉会長がいかにして、一人の会員における「信心の原点」を刻み込んできていたのかについて、その一端について記述する予定である。最後までお読みいただき、ありがとうございました。