マチナカ年代記

ぼくが考え、書いてきたこと。

2404:「100分de名著を語ろう」『夢判断』第2回を開催して

昨日(24/04/11)21時から、clubhouseを利用して、Eテレ「100分de名著」に関するルームを開催いたしました。今月度は、立木康介さんがテキスト執筆と番組解説を担当している、フロイトの『夢診断』が扱われています。

 

番組をご覧いただいたり、テキストを読んできていただけていると、より楽しめるかと思いますが、手ぶらでふらりと来ていただいても全く問題ないので、遊びにきていただけますとうれしいです。

さて、昨日は第2回放送分の「夢形成のメカニズム」について話し合いましたが、テキストも放送も、私には難解に感じられました。とはいえ、番組パーソナリティの伊集院光さんは、いつもながらの「神対応」を展開してくれていて、講師の立木さんを唸らせていました。さすがだ。

私が提出した話題は、今回の「わかりにくさ」とは、私があまり夢を見ている実感がないところに由来しているということでした。解釈や判断に足るような夢をあまり見ていないんじゃないかと申し上げたものの、話しながら、実はあるパターンの夢を繰り返し見ていることに思い至りました。

その「夢」には、少なくとも2つあると話しました(実は、その後思い出したこともあるのですが、それは割愛します)。

1)前の前の会社での先輩が、よく出てくる。ただしその先輩には、好感情はもちろん、敵意や悪意等の感情も持ち合わせていない。これはどういうことだろうか?

好悪のいずれにせよ、強い感情や記憶が残っている人が出てくるのならわかります。しかし、そのいずれも感じたことはなかったのに、と申し上げました。

昨日はそのように申し上げたとは言え、少なくとも一度は「ケツの穴の小せえ野郎だな」と、相当程度に強い反感を、一瞬ではあるものの感じたことはあります(が、それは後にも先にも、その一回だけでしたが)。これの意とするところは何なんでしょうね?

2)卒業しているのに、ある日単位が足りていなかったとの通知に接する。または、就職が決まっていたのに、卒業許可リストの貼り出しに名前がない。

これは、かなり頻繁に見ます。意外だったのは、似たようなケースの夢を見た方が、参加者のうちにいたということです。

それに触発されたのか、つい口をついて出てきたのは、私はかつては、研究者として大学に留まりたかったものの、ついにはそれを果たせなかったという事実でした。このことは、限られた数人にしか話した記憶はないのですが、この会のような半オープンの場で語ったことも皆無だったのです。それを話したこともまた、不思議でした。

このことから、「大学に残る」ことを、夢の中ではありますが、「卒業できない」ことを通じて、代替的に実行していたのではないか、要は、今でも実は大学で勉強やら研究やらをしたかった、していたかったということなのではないかという「解釈」ができたのです。しかし一方では、社会に出るのを怖がっていることを含めて、社会に「出たくない」「出たくはなかった」ということを表現しているのかもしれません。

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そんなこんなを語り合いながら、あっという間に80分ほどが過ぎました。ご参加くださったみなさまには、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。来週24/04/17(木)にも、第三回放送分について語り合う回を設けますので、ぜひお越しいただければと存じます。ご案内については、私のTwitterアカウントを通じてご覧いただければと思います。

https://twitter.com/machinaka_book

それではまた!